旅行・地域

茂庵 いち

 今日の環境構成論(という授業を大学で受けているのです)は吉田山の散策会だった。午前中は日射しが暖かく、上々のお散歩日和。吉田神社の北の鳥居から教授や他の学生と出発する。

 吉田神社の社殿が成立したのは16世紀の末から17世紀初頭のことだそうで、一般の神道とは異なる吉田神社特有の教義に従っているのだとか。本殿の南側に位置する大元宮は八角形の平面で、全国でも吉田神社にしか見られない珍しい構造をしている。大元宮の東西には、「東諸社」「西諸社」として全国の神社が祀られていて、「八百万の神が一同に集まった」という様相(伊勢神宮の内宮、外宮まであるのが可笑しい。結構大胆なことするよね)。

 吉田神社が一番の賑わいを見せるのは2月の節分祭。私は去年、初めての節分祭を見物しに行くこともなく、横目に通り過ぎていたけれど、神社境内から山裾の鳥居を抜けて東大路まで、京都大学のキャンパスの間を通る東一条通にずらりと朱や紺、黄色の出店が並んで、とても華やかだったな。折しも薄曇りの空には、年に幾度降るわけでもない雪。祭の見物人の足元で、雪がアスファルトを黒く濡らして溶け残り、屋台の暖かな様子を際立たせていた。今年は人込みをいとわず出かけてみようかな。

 神社境内を抜け、さらに山を登った吉田山公園へ。子どもたちがたくさん遊んでいた。麓の吉田幼稚園の子らなのかしら。結構鬱蒼とした林の中に唐突にたくさんの子どもたちの声がするのはちょっと奇妙でした。この公園には京都大学の前進第三高等学校の閉校後、創立から90年の折に立てられた「紅萌ゆる」の歌碑がある。歌碑とかあまりきれいじゃないと思って好きじゃないけど。大学は団塊の世代が入学する頃に一度定員を大幅に増員したことがあるそうで、そのころはちょうどスプートニクの打ち上げに刺激されて日本で科学教育に力が入れられた時期でもあって、その頃の学生をスプートニク世代と言ったり、教官増員で採用されていた教授たちはスプートニク教授なんて呼ばれていたんだって。楽しいね。

 吉田山東側の斜面を歩く。近代に入ってから指定された天皇陵を覗く。無彩色で何となく陰気。まぁ、お墓だからね。後一条院陵のお隣は料理旅館吉田山荘。もと東伏見宮別邸として昭和7年に建てられたものが、戦後手放されて料理旅館になったものだそうで、昭和7(1932)年というと建築やデザインの分野で世界的に展開していたモダニズムが日本の都市文化にも波及していた時期だけれど、吉田山荘の建物も洋間と和室の両方を備え、当時流行のステンドグラスを随所にあしらった素敵な建物のようです。今日は敷地の外からちらりと見ただけなのだけれど。こういうところに来られる大人になりたい、な。

 一生懸命書いてるのだけれど(というか一生懸命書きすぎているせいで)なかなか茂庵に辿り着けません。疲れちゃったから「茂庵」の続きはまた明日。

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